デンキチの木片小魚物語3

Sprout Lures の製作記録と喜怒哀楽日記

【五月の釣り/R3:承の巻】確証バイアスの罠!

 さてと「五月の釣り」を振り返りましょうか……と、その前に、本稿のキーとなる言葉について定義しておこうと思います。

 その言葉とは 確証バイアス  です。

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 確証バイアス(かくしょうバイアス、英:confirmation bias)とは、認知心理学社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと認知バイアス一種。また、その結果として稀な事象の起こる確率を過大評価しがちであることも知られている

 ウキペディアより引用

 この確証バイアスなる言葉が、どのように関わってくるのか…興味のある方、お時間のある方は、どうぞお付き合い下さい(分割読破大歓迎!)。

 確定バイアスの罠!

 冒頭で記した通り、この確証バイアスという言葉は、多種多様な分野で使われています。(投資家さんなどは普通に多用しているでしょうね。)

 しかし、自然環境の影響のみならず、予想を超えた危険が伴う冒険的要素(不確定要素)の強い(高い・多い)アクティビティーの中において、この言葉が使われているケースを私は見たことがありません。 

 本来であれば、冒険的野心的(場合によるが)かつ、自然環境という不確定要素の塊と対峙する釣りのようなアクティビティーにあっても親和性の高い言葉だと思われますが、皆さんはどの様にお感じになられますか?

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薄氷が残る湖面(2010年3月12日)

 かく云う私ではありますが…。この備忘録的ブログには、確証バイアスという言葉の響き不似合いだと感じていたことから、あえて「気分」という平易な言葉を使って補完するように努めてきました。

 けれど、この5月…いや、今年の「復活釣行」を経た今現在、改めてこれまでの首尾(事前予測に基ずくスケジュール)を振り返る時、やはり確証バイアスの罠に嵌っていたという事実を受容れなければならなくなったわけです(苦笑)。

 という事で、本稿では「私なりの新しい試み」として、我が釣りにおける「反芻と反省の場面」に、この確証バイアスという言葉の意味を本稿のテーマとして通奏低音させてみようと考えた次第です。

1:5月11日の釣り

 昨シーズンは顔を出すことがなかった我が道場

 私が顔を出そうと出すまいと…いや、人の世に感染症が広がろうが、経済が回らなかろうが、山の雪は融け、草木は芽吹き、そして鳥はさえずる。

 自然密接に関係しているけれど、同時に裏腹でもある。

 全く以て、やるせなくも長閑な話だ(微笑)。

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 話は数か月前に遡る。

 上半期の釣行スケジュールを粗々と立てていた時のことだ。

 当然の事ながら、21’シーズンの主軸とも言える「追波川復活釣行」スタート経過(内容や釣果)、はたまたコロナ渦の状況によって以降のスケジュール釣行スタイル大きく変わることが予想されたわけなのだが…。

 一連の釣行スケジュールの中で、道場を舞台にしたランドロック・サクラマスの位置付けが俎上にあがることとなった。

 もっとも、無理をして予定を捻じ込む必要はないのであるが…。 

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 とまれ、2016年から再開・継続してきた道場での釣りを行わないというのも居心地が悪いし、今オフに試作したミノーを泳がせたかったので、これまでのランドロック釣行の傾向を踏まえて「5月GW開け」から道場へ向かう事に決めた。

 勿論「追波川でサクラマスが釣れても釣れなくても」である。 

 しかし、こうした判断へ至るまでに「ランドロックなら、追波川やホーム・リバーのサクラよりも比較的容易に引っ張り出せるだろう。」という愚かな読みがあったことも告白せねばならないだろう。

 何ら根拠がないにもかかわらず…である。

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Ballestaの初釣果はウグイ君(連発)。

 勿論、我が心の道場におけるマイナス要因は鑑みた。

 それは、気象を筆頭に、時期的に釣り座が重なるへら師カヌーSAPといった人的要因貯水量水辺の状況変化(砕石の敷設や地形的な変更)等である。

 これらの要因の中にあって、数か月前の時点唯一硬いと思われたのが貯水量であった。なぜなら、今冬は相応に降雪が見られていたからである。

 それが故に、GW開けでも大丈夫だろうと踏んだのだ。 

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Flechaのストップ&ゴーに銀毛がヒット。

 しかし、現実は違った

 去る記事でも触れた通り、相応の降雪に見舞われた市内で暮らす私が考えているよりも、山に積もった雪は少なかったのである。

 元より、道場での釣り日中の短時間釣行になることから、より繊細にデータを読み解きながら計画を練るべきだった…。さすれば、仮に予測と現実が乖離していたとしても納得がいくというものだ。

 今年は復活釣行の準備に力を入れ過ぎたのだろうか…?

 否! それは当然の成り行きであり、それこそ予測可能な事である。むしろ、そうした心情を加味した上で、道場での釣りを計画すべきだったのである。  

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 そして、時は5月11日真昼間……。

 いつもより乏しい湖水に浸かりながら、そんな事を頭の中で反芻した。

 …とまぁ、反省の意ばかり書き連ねても仕方がないのだが、あの衝撃の「復活釣行」を終えて「新たなる一歩」を踏み出したロートル釣り師としては、ここで自省しないと後がないのである(苦笑)。   

 気を取り直して釣行の様子に話を進める。

 21’試作ミノー Ballesta は子気味良く泳いでくれた。

 製作した3本(セッティング3種)をとっかえひっかえ使ったが、いずれのモデルも魚からの反応は良かった。

 例えそれがウグイ君達からの反応であれ…(苦笑)。

 因みに…である。

 ウグイ君を別角度でクローズアップした画像をに載せてみた。よく見ると、スナップを開けたまま Ballesta を泳がせていたことがお分かり頂けるだろう。

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 これはセッティングが異なる3種の泳ぎを確認するために(こまめに付け替えする手間を省きたかった)、そのような所業(非推奨行為)をしていたのだが、目視可能な近場(立ち位置から5~6m程)に投じた一投目から反応があったので困惑してしまった。

 まぁ、ここは自宅の浴室ではないという事だ(苦笑)。

 故に、2投目からスナップを閉じたことは言うまでもない。こうした無精行為からも確証バイアスの香りが漂ってくるのであった(呆)。

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 而して、狭い釣り座で過ごす2時間足らずの釣行である。

 そうした儚い釣行なればこそ、釣果の程度に因らず納竿の時は忽然と訪れるものだ。その合図北西の風に乗ってやってきた。

 男女の戯れる声が徐々に近づいてきたのである。

 これには流石に焦った。

 このままウグイ君の連打で終わるわけにはいかなかった。

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陸封櫻というには幼い顔だ(微笑)。

 しかし、SAPの若者グループが着岸する前に、信頼の Flecha が尺に満たない銀毛を連れてきてくれた事で、私の魂は辛うじて救われたのである(安堵)。

 これもまた慈愛深き如来様のご利益だろう。とは言え、この銀化をもって「ランドロックサクラマスを釣った!」などと喧伝するわけにもいくまいて…。

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 といった具合に、望む魚を引っ張り出すことはできなかったが、これ以上粘ったところで埒があきそうにないことは明白だった。

 何故なら、賑やかな男女のSAPグループが着岸してきたからである。そこから釣り座リセットしたとしても望む魚が寄ってくるとは思えなかった。

 となれば、気持ちを切り替えて如来の元へ参じるしかあるまい。

 これもまた恒例行事のひとつだから(微笑)。  

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 西方寺の境内は静かだった。
 海外からの観光客は勿論、老若の参詣者も少なかった。

 コロナ渦の影響は明らかである。インバウンドがもたらす虚ろな経済効果に過剰な期待を寄せていた我が県の「とっつぁん坊や」*1は、今何を思う?

 ただひたすらに諸行無常を味わうがよい(心の呟き)。 

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 そして貞能堂を参拝しがてら写経を嗜んだ。

 此度は「舎利礼文*2を選ばせて頂いた。

 内容は分からずとも、鎌倉時代には存在していた経典である。心に響いてくる漢字語句を見い出すだけでも、世俗に疲れた身には良薬となる(微笑)。  

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 写経を終えると、定義とうふ店を目指して参道に降りた。
 参道西方寺の境内と同様に静かだった。

 私の姿をみた土産物屋の店主が威勢の良い声を発してくれたが、かえって申し訳ない気持ちになった。 

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 定義とうふ店といえば三角油揚げである。

 私が訪れた時点で3組の高齢者グループが油揚げを頬張っていたところをみると、コロナ渦とは言え、客足が完全に止まったわけではないようだ。

 さすが定義の名物である(微笑)。 

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 私は自宅用に袋詰めの三角油揚げを所望した。

 焼いて良し(薬味をたっぷり載せて食べると最高)、煮て良し分厚い油揚げなので、人気が高いのも分かろうものだ(微笑)。

 長く続くコロナ渦にあって、人心の拠り所が失われつつある昨今、こうした社寺仏閣を含めた場所の真価が問われていると思う。

 そんな事を考えながら帰路についた。 

2:5月14日の釣り

 この日の釣りは「満を持して」という確信に満ちていた。

 がしかし、人生は都合良くいかないものだ。 さしたる根拠のない確信にこそが潜んでいることを裏付けている。

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 この日の釣行については、下記リンク先「釣行速報#04」である程度記しているので、改めて本稿で触れることはしない。 

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 この日も、横浮ミノー Ballesta に登板を要請した。
 65㎜6g前後あるので飛ばないわけはないのだが、何しろこの湾曲フォルムであるからして、泳ぎ以外の性能については余り期待していなかった

 しかし、去る5月11日の釣行考えを改めなければならなくなったのは、何を隠そう産みの親それ即ち製作者の方だった(笑)。 

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 余程の向かい風でなければ、かなり飛ぶことが分かった。

 先だって銀毛を連れてきた Flecha には叶わないまでも、投げ方とタイミングに注意すれば、著しく飛行姿勢を崩すことなく飛距離を伸ばした。

 これもまた収穫のひとつだろう。 

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 目下のところは、ウグイ君としか友好関係を築けていないのだが、それも時間(機会)が解決してくれるはずだと信じている。

 ただ、懸念がないわけではない。

 当該道場でのキャッチ・パターンを鑑みると「Ballesta的な泳ぎ」ヤマメ系の魚にはアジャストしないという結論に至るやもしれない。

 とまぁ、目下のところ、に引っ掛かってしまった格好の私は、不穏に過ぎるシナリオを頭の中で想像するばかりなのだ(苦笑)。 

3:5月18日の釣り

 物事を刻むために用いる最小公約数人それぞれだろう。

 因みに、私の場合は「3」である。

 これは、幼少期から続く慣習に因るものかもしれない。 

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 親から「石の上にも三年」と諭されて、習い事(武道や楽器・塾など)に通った人々は少なくないはずだ。それは世代の別に因らないと思う。

 今年で53歳になる私も、実はその口である(苦笑)。 

 そう云えば、他にも「3」がついた文句がある。

 その代表として「三日坊主」「三度目の正直」「商い三年」「朝起きは三文の徳」などが挙げられるだろう。落語の枕にも「居候、三杯目にはそっと出し」なんてのがあったはずだ(笑)。

 この様な例からも、日本人が「3」という数字に対してある種のシンパシーを感じて、物事の基準に定めていたことが伺われる(微笑)。 

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 然るに、コテコテの日本人であるデンキチ小父は、「二度ある事は三度ある」という負の法則があろうがなかろうが、はたまた満足いく釣果があろうがなかろうが、とりあえず3回以上は通わないと納得しないという性分によって、釣行スケジュールを構成しているといって差し支えないだろう(嘘か誠か)。 

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 こんな事ばかり綴っていると「釣行の総括はどうしたんだ!」という非難の声が方々から聞こえてきそうなものだが、それは仕方がない話なのである。

 なぜなら、ウグイ君(多数)しか釣っていないからだ。

 悪いサイクル転換すべく朝駆けしてみたものの、ウグイ軍第三師団襲撃を受けてあえなく退散したという話を詳しく書いたところで、拙ブログ稀有で酔狂で賢明な読者さん達の興味を満足させられないことは自明の理なのだ(自嘲)。 

4:5月26日の釣り

 自らの読みの甘さがもたらした失意を胸に追波川へ向かったのは、5月に差し掛かった26日午後のことだった。

 都合3回目となる追波川釣行である。 

  しかし、この期に及んで過大な期待を持つわけもなく、ただただ追波川の水辺に立ちたいという気持ちを胸に彼の川へ向かった。

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  この川で夕刻の僅かな時間を過ごすための段取りに、1週間という時間を費やす羽目になってしまったが、これも前項で記した通り「3で刻むと落ち着く」という性分に起因しているのだろう(苦笑)。 

 とにもかくにも、関係諸氏(特にかみさん)に与えてもらった貴重な機会である。釣り座に立ったなら、只ひたすらにルアーを投じるだけだ。

 既にサクラマス盛期が過ぎていることもあって、前2回共にエントリーしてきた右岸の釣り座には人影はなかった。それを幸いに、これまでの釣行で入れなかったポイントに立つことが叶った。

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 とは言え、釣れる気がしない(笑)。

 さわさりながら、川底の様子を小移動を繰り返しながら探ることができたのは、今後の糧若しくは判断材料のひとつになってくれるはずだ。

 そんな些細な進展ですら新鮮な喜びに繋がるのだから不思議である。それが「10年のブランク」というものなのだろうか。

 夕方4時を過ぎてから、新たな釣り人下流にエントリーしてきた。

 その後で、私の投じた慈光(鋳造スプーン)にシーバスが出た話は「釣行速報#06」で記した通りだ。 

 同年代と思ぼしきローカルが差し出したランディング・ネットを水に浸すことなくリリースできたことがせめてもの罪滅ぼしだった。

 他人様に外道の魚を掬わせるのは余りにも申し訳ない話である。遠くにいたにもかかわらず、能動的に歩み寄って来て下さった彼に感謝しかない。

 蛇足ながら付け加えれば、件のローカル納竿した後に、写真上の竹千代(赤金)でも小型のシーバス(50㎝前後)が出た。

 何れのシーバスも撮影していない。前出の通り、ランディング・ネットで掬わずに水際でフックを外してリリースしたからだ。

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 所定の時間まで粘り、心の底から満足した(笑)。

 私の「追波川復活釣行」は終わりだ。

 追波川「奇跡の一尾」を与えて下さった。

 それで充分である。10年という月日が穿った穴を埋めるに相応しい時間を過ごさせてもらったという感謝充足感が自然と湧いてきた。

 そんな前向きな感慨を胸に仕舞い込んだ私は、この釣行機会を与えてくれたかみさんへの貢ぎ物?!として、道の駅「上品の里」で地元産の野菜やキノコを買い込み、家路を急いだのであった(微笑)。  

5:五月の釣り「承の巻」雑感

 「五月の釣り」「承の巻」と題する前から、私の失敗は約束されていたように思われてなりません。

 失敗とは「自ら道場と名付けたリザーバーの環境・状況や、そこに生きる魚とのサイクルを合わすことができなかった。」という事実に尽きます。

 限られた釣行機会を、不確定要素の塊シンクロさせていくには、より冷静客観的分析力(洞察力・推察力)を鍛えなければならないでしょう。

 私が犯した読みの甘さもまた、長期間に渡ったブランクの成せる術とも言えるでしょうが、生来のガサツさが露呈しただけなのかもしれません(苦笑)。

 いずれにしても、シーズンが終わったわけではありません。道場ランドロック・サクラマスに関しては、秋口に再チャレンジする所存です。

 さて、来る「六月の釣り」はどうなるのでしょうか?

 「承」が続くのか、はたまた「転」となるのか…それこそ神のみぞ知るといったところでしょう。(気象も不安定で読めませんしね…。)

 釣行機会は更に限られる筈ですが(川止めもありますので)、その中で何某かの学び刺激を得ながら望む魚肉薄していければ幸いです。

 

 これから溪の盛期が続きます。

 危険を伴う釣りを嗜む皆様にありましては、無用な落とし穴に嵌らぬよう、ならば安全側の判断を選択して、楽しい釣行を続けられますようお祈りしています。

 最後まで「魚の写真が少ない長文駄文の釣行録」にお付き合いいただき、本当に有難うございました(低頭)。   

*1:宮城県知事

*2:舎利礼文(シャリライモン):曹洞宗の開祖である道元禅師の葬祭の折に読誦された経典。