デンキチの木片小魚物語3

Sprout Lures の製作記録と喜怒哀楽日記

【六月の釣り/R3:承の巻】満足と欲求と倫理の狭間で

 熱海市で発生した土砂災害…。

 災害列島 日本 という現実を改めて痛感しております。

 此度の土砂災害に因る被害拡大させた要因が、まとまった降雨地勢・地質の類にのみ起因しているわけではないという指摘が各方面から聞こえてきました。

 悲しいかな…複合的な要因によって被害拡大・甚大化したという事例は枚挙に暇がありませんが、現時点で反射的な推論を流布するのは控えたいところです。

 今はただ、冷静・客観的な検証を待つしかないのでしょう。

 伊豆(熱海地域)で発生した土石流による被害を受けた方々の一日も早い復旧・復興と、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈っております。

 そして、救助に汗を流す方々の安全無事を願うばかりです。

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 複雑な思いが胸に去来しております…。

 自身が過ごしてきた時間世の中の出来事の双方が、拙ブログ備忘録足らしめているという事実に深い感慨を覚える次第。

 それでは「釣れない釣り」まとめ記事を綴って参りましょう。

満足と欲求と倫理の狭間で

 当初の目論見では、ここらで「転の釣り」になるようなきっかけが欲しかったというのが本音でした…が、そう都合良くいくわけがありませんよね(苦笑)。

 それをこそが、言葉の通じぬ魚を相手にする釣りならではの醍醐味だと言えるでしょう。正しく望むところです。(人はそれを強がりといふ…)

 ともあれ、結果だけを見れば貧弱に過ぎる釣行(3回)でしたが、その中にあって「心を動かされる場面」に遭遇することができました。

 それが例え「傍から見たら小さな出来事」であるにせよ、痩せ細っていく故郷の川釣竿を手に彷徨う人間にとってかけがえのない場面となりました。

 六月の釣り「そんな感じの話」に始終するのです(微笑)。

1:6月9日の釣り 

 この釣行に先立ち、5月末から川を眺める機会を増やした。

 それは、実際に釣りをする区間よりも更に下流域の状況を見ておきたかったからだ。永らく続いている土木工事の状況水況を確認しないで竿を出せる程、図太いな精神力を持ち合わせていないのである(笑)。

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 こうした下準備から得た結論は芳しいものではなかったけれど、可能性が0ではない限りにおいては、心に決めた釣りをやってみようと腹を括った。

 こうして「釣れない釣り」が始まった。

 で…でだ………。

 結果は、見紛うことなくボウズ

 去る釣行速報 ↓ と何ら変わらぬ話なのである(爆)。 

 でも、速報記事には綴れないことが1つだけあった。

 それは、遡上するサクラマス目撃したという事実だ。 

  戻り足の途上にあった私が、20分程前にルアーを流した極浅のスリットを、野太い銀鱗が水しぶきを上げて遡上していたのだ(興奮)。

 それを気付かせてくれたのは水鳥たちだった。水面から露出していたサクラマスの背中の上方で2羽の水鳥が激しく羽音をたてて飛び回っていたのである。

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 それは、弱肉強食の場面であると同時に、この痩せ細った故郷の川に帰ってくるサクラマス凄まじい野生強かさを垣間見た瞬間でもあった。

 身を捩らせて極浅のスリットを抜けたサクラマスは、水鳥の追撃をものともせず、緑色をした流れの中へ同化していった。

 それは時間にして数十秒の出来事だったように思う。肩にたすき掛けにしていた防水バックからカメラを取り出すのを忘れるくらい鮮烈な光景であった。

 この出来事によって、この日の不甲斐ない結果を引きずることなく、明日への動機健全な好奇心に繋がった事は言うまでもない(微笑)。

2:6月10日の釣り

 昨日の思いがけない出来事も手伝って、この日はアラームが鳴る前に起床した。欠伸も伸びもせずに、そそくさと着替えを済ませ、静かに家を出た。

 めざす釣り座は、昨日入った区間の上流部だ。それは云わば、あのサクラマスの残像を追っかけた格好になるだろう。  

 6月に入ったと云うのに川を潤す雨は少なく、川の状況は言わずもがなの様相であったが、24時間前に焼き付けた残像が不安を払拭してくれた。

 しかし、川から発せられる生命感は乏しかった。

 それが現実なのである。

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 区間の最上部まで釣り上がり、曇天から漏れだした朝日を浴びながら、大きな岩の上に腰かけた。そして一頻り考えを巡らせた。

 昨日の出来事を反芻しながら、可能性という名の風呂敷を限りなく広げてみたのだが、風呂敷の中に残ったのは疑問符だけであった(笑)。

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 あのサクラマスは、何故あのような時間(外敵からのリスクが高まる時間帯)に、あのような場所(浅瀬のスリット)を遡上していたのだろうか?

 いずれにしても、サクラマスの本能がそうさせたに違いないのだが…。

 一晩で遡上できた距離に満足しなかったのか、はたまた、遡上の疲れを癒すための場所が芳しくなかったから(外敵から身を守れない・適水勢ではない・溶存酸素量が少ない等)なのか…。

 いずれにしても人間臭い推測に過ぎない。 

 少々おセンチに過ぎると思われたが、あのサクラマスの不遇を想った。私も人間の片隅に籍を置いているということなのだろう(苦笑)。 

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 この日も目指す魚に出会う事は勿論、気配すら感じることはなかった。

 けれど、この日の釣り味わい深いものとなった。

 実に穏やかな気持ちで川を眺める事ができたからだ。それは昨日のサクラマスとの邂逅が影響していたに違いない。

 余談になるが、今年からウェーダーを履く事をやめた。

 即ち、昨今風に習えばウェット・ウェーディングということになるのだろうが、私の場合はそんな格好の良いものではない。

 言うなれば「濡れっ放しウェーディング」である(苦笑)。

 そもそも、この時期の故郷の川中流域より下は特に)はヌメリが酷くて、不用意にウェーディングすると不幸な出来事に見舞われる確率が格段に上るのだ。

 脛の中程まで水に浸かったが、厚さ長さが異なるネオプレーン・ソックス2枚重ね履きしてからウェーディング・シューズ(おニューのパズ製:下リンクをどうぞ!)を履いているので不都合を感じることはなかった。

 難点があるとすれば、パンツ(リトプレの速乾性パンツ)の裾をまとめていないことだろうか。膝まで浸かるような場面では水圧を過分に感じるやもしれない。

 とまれ、その昔はジャージ沢登をしていたことを考えれば贅沢な話なのである。然るに著しい問題はないはずだ。(当人が慎重であれば良い。) 

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 蛇足になるが、戻り足で不穏な足跡を見つけた(汗)。

 この水をたたえた窪みは、我が掌よりも大きかった。

 市街地だからとて、ツキノワグマの足跡が全くないわけではない。気まぐれな山親父が、山のねぐらから川伝いに遠征して来たとて何ら不思議はないのである。

 仙台という土地柄がもつアンバランスさに苦笑した朝となった。 

3:6月14日の釣り

 この日の区間は、初戦の舞台を選んだ。

 散り際に相応しい舞台は、”そこ”しかなかったと言える。この3年間で、こだわってきた区間(ここでサクラに出会いたいという想い)でもあるからだ。 

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 この時点で、満足感に近い感覚があった。がしかし、それでも釣りに向かったのは、三度目の正直を心のどこかで信じていたからかも知れぬ(笑)。

 いずれにしても、往生際が悪い話である。

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 故郷の川はあいかわらずだった。

 瀬と思しき流れは、点在する石にぶつかって白泡をたてていたけれど、を被覆した水底の岩盤が異様さを際立たせていた。

 流れに投じたルアーを回収するたびに、まとわりついた青藻を外さねばならず閉口した。けれど、この不毛なルーチンも今日で終わり(6月21日から川止め期間に入るから)になるかと思うと、何かしら寂しく思えた。 

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 これから更に渇水が進み、水温が上昇すれば、更に水況悪化の一途を辿るやもしれないと不安を強くした。

 こうした水況を憂うのは、ここ数年来の恒例行事になっているのだが、そうした人間の身勝手な想いとは別に、自然の営みは連綿と続くのである。 

 せめて、来る不毛な川止め(軽い批判)が終わる頃までに恵みの雨が降ってくれることを願いながら帰路を急いだのだった。

 即ち、白旗を掲げたというわけだ(苦笑)。

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4:六月の釣り「承の釣り」雑感

 とまぁ、貧弱極まりない釣りを重ねた6月でした。それ即ち「承の釣り」が続いたと言っても差し支えないでしょう。

 けれども、私自身は程よく満たされています(微笑)。

 しかし、釣り人としての充足感とは意を異にする感情が、心の奥底に沈殿しているという事実を綴っておく必要があるでしょう。

 故郷の川が抱える問題は、貧弱な水況だけではありません。  

 ただかだ区間程度の川歩きにもかかわらず、やりっぱなしの痕跡(別名:宴の後)を見つけること数知れず……。

 中には、100円ショップの釣竿(竹製・仕掛け付)まで落ちている始末。この場所で、1間足らずの竿を使って何を釣ろうとしたのかなぁ?

 世の中は不健全な不思議で満たされています。

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 こうした始末の悪い状況を以て「昔は良かった…。こんなことはしなかった…。」などと訳知り顔で綴るつもりは毛頭ありません。

 何故なら、こうした事柄に関するモラルは、以前の方が低かった(認識不足)からです。(私もまた、この川にとって無用な足跡を残す人間ですし。)

 であるからこそ悲しさが増すのです。

 数多のメディアその筋のスペシャリストによって、アウトドア・アクティビティーに関する倫理観が伝播・喧伝され、ある面で過剰なまでに醸成しているにもかかわらず、相変わらずの状態が続いているという事実に曰く難い無常を覚えます。

 もはや自然の姿を保っているとは言えない故郷の川…。

 しかし、かつてさとう宗幸(仙台出身の歌手)が唄ったこの川の名前が持つ涼やかな音の響きは、今もなお色褪せてはいないはずです(微笑)。

 市民・県民の財産として、末永く愛でていきたいと思います。