強雨の名取川河口域に思う【旬の魚を求めて様子見…からの】
去る6月29日の話になります。
この日は、久方振りの「梅雨模様」というか、むしろ強雨と言った方がふさわしいような天候となりました。
「このまま空梅雨が続くとなれば、さぞかし川の魚も辛かろうに…。」と考えていたところだったので、少しだけ安心しております(微笑)。
とまぁ、こんな強雨の一日ではありましたが、仕事の合間に名取川の河口域(ホームリバーの本流)を様子見してきました。
私にとって、名取川河口域のマゴチや県南サーフのヒラメといった平ったい魚かつ食べて美味しい魚を釣ることは、追波川のサクラマスと同様に「旬を慈しむ釣り」のひとつになっていました。
といった訳で、これから夏にかけて「食べる釣り」を復活させるべく、頃合いを見計らって河口域の状況を確認したいと考えていたこともあり、この恵みの雨(仕事がスライドした)によってもたらされた余暇を使って、そそくさと現地へ向うことにしたデンキチ小父でありました(笑)。
強雨の名取川河口域
去る震災以降も定期的に足を運んできた閖上(ゆりあげ:名取川河口南岸地域に発展した漁港町)ですが、名取川の堤防やそれに付随する工事が長く続いていたこともあり、あえて河川の方向に視線を向けないようにしてきました。
特に、ここ数年は、仕事絡みで同地を訪れることが増えたことも影響したせいか、嵩上げした住宅地周辺に意識が向いてしまっていた様な気がします。
という事で、此度は懐かしい思い出が多く残る名取川河口域の風景を「浦島太郎の心持ち」で眺めて参りました(微笑)。
1:嵩上げ道路
仕事で閖上界隈の宅地へ赴く際には、西方からアクセス(JR名取駅方面)することが多かったのですが、此度は10号線(旧塩釜亘線/現・東部復興道路)を通って北方からアクセスしてみました。
仙台市街地から井土長町線を通って10号線へぶつかろうという段になって、この沿岸地域の復興を下支えした道路が渋滞している事に気付きました。
予てから「東部復興道路は慢性的に渋滞気味」とは聞き及んでいましたが、平日の真昼間にノロノロ運転の車が長い列を成すとは…(呆気)。
渋滞はともかく、この10号線の変わり様には驚きました。
上写真で云うと、車列が連なっている道路が6m余りの嵩上げを行った東部復興道路で、右側に並走する道路がかつての塩釜亘線になります。
この「復興」と冠された道路には特有の役割が課せられています。それは、下記のニュースを参照して頂ければ、概要を把握できると思います。
要約すると、この東部復興道路は、仙台東部道路(当該道路の西側にある道で、三陸道に連結する高速道路。震災の際には波止の役割を果たした。)や海岸線に設けられた防潮堤と合わせて、津波の威力を軽減させる役割(多重防御)を担っているとのことですね。
確かに「命の道・命の防波堤」だと言えるかもしれません。
久方振りに10号線を走ってみて考えたのは「この場所で有事が起きた場合、自分はどうやって内陸部にエスケープするのか?」という事でした。
東部復興道路の周辺各所には避難丘や避難タワー、そして内陸部(西方向)へ向かう道路も接続していますが、自分が当該道路の何れの場所に位置しているのかを把握していないと適切な判断はできないはず…。(※特に、慢性的な渋滞下にある道路から速やかにエスケープするのは容易ではありません。)
道路や避難施設といった防災インフラの整備は重要ですが、それを利用する側にも覚悟と認識(危機意識と沿岸地域の理解)が必要だと感じましたね…。
少なくとも「道路を嵩上げしたから大丈夫。」とは思えませんでした。
2:堤防の上に立つ
そんな感慨を持ちながら目的地へ到着しました。
防波堤沿いの街並みは、かつての趣とは異なり、落ち着いた漁師町の風情というよりは、近代的で衛生的な街並みに刷新されています。
堤防に近接した空き地に車を停めて堤防上の遊歩道に上がってみましたが、風を伴う強雨で、あっという間に濡れネズミになってしまいました(苦笑)。
横殴りの雨にもめげず、傘を片手にカメラのファインダーを覗くと、はるか遠方で釣り人の姿を確認することができました。
「どんな場所、どんな時でも釣り人いる説」が立証できましたね(笑)。冗談はともかく、場所によっては波浪警報も出ていたので…。無理は禁物ですな。
訪れた場所は、上地図の赤枠のエリアです。
丁度、正面に井土浦の緑と貞山堀が見えます。
やはり、地形が変化していますね…。
変化と云えば、設置された消波ブロックもそうですね。従前よりも高く積まれていますし、形状も異なっていました。
(※消波ブロックの人気商品テトラポッドになった模様。従前は、面があったペンタゴンだったと記憶しますが如何でしょうか?人の記憶は曖昧ですな…。)
「かつての井土浦」は、こんな感じでした(懐笑)。
上写真は、2008年8月23日(日曜日)に撮影したものですが、井土浦の干潟が水遊びの場・学びの場になっていたことが伺われます(微笑)。
因みに、この日も長男と一緒にマゴチを釣りに訪れていました。良型のマゴチを3本釣ってホクホクしておりましたよ(笑)。
とまれ、震災を境にして大きく変わってしまった干潟ではありますが、これからも「人と自然の接点」になっていくはずです(希望)。
河口の方を見やると、白く波立つ砂浜が目に入ってきました。
荒天らしい光景ですね。
そして西の方に顔を向けると、雨に煙る閖上大橋(下写真奥)が見えました。橋の上では、お昼も近いというのに渋滞が続いていましたよ…。
思い返せば、旧塩釜亘線も朝な夕なに渋滞していた道でした。朝は、仙台新港や塩竃界隈へ働きに向かう車の通勤ラッシュで、夕方はその逆といった具合。
加えて、港湾施設(市場や海産物の加工所)や工場・倉庫が林立する地域に繋がる道ということもあって、大型車両も多く走っていましたね。
でも、平日の日中まで渋滞はしていなかったように記憶しています。(まぁ、時と場合によると思いますが…。)
そんなこんなの観察を終えてから、上流側に設けられた施設「名取市震災復興伝承館」へ車で移動しました。
折しも、関係当局が河川状況を確認しに来ておりました。私たちが知らないところで、汗をかいてくれている方々がいるということですな(感謝)。
伝承館の駐車場脇には、閖上地区の街づくりを案内する看板(下写真)が設けられていましたね。
こうした看板(行政が設けた案内板)も、小難しく考えずに目を通しておくと、行政がやろうとしている事柄の主旨を把握する一助になるでしょう。
最終的には、下写真の様な格好になるようです。
「完成が楽しみか?」と問われれば、複雑な感情しか湧いてきませんが、当地の人々が安全に、そして暮らしやすくなれば良いのではないでしょうか。
そんな感想を持ちました。
閖上界隈(県南の沿岸部)は、南三陸町の様に高台(里山や丘陵)がない平野部に位置するので、復興計画の内容(方策)は全く異なることが分かります。
前出の伝承館が建てられている立地を見れば分かる通り、従前よりも嵩上げされた堤防の頂部が、伝承館のグラウンド・レベル(GL)になっています。
そこから緩やかなスロープ(下写真)を下ると、看板(上写真)に記された⑥船着き場に至ります。
そして、堤防頂部から僅かに下がったところ(階段にして数段程度)に、嵩上げされた宅地(下写真)が設けられていました。
こうやって眺めてみると、嵩上げされた堤防を高波・津波が越えないという想定の元に計画されたということが伺われます。
未来と自然を相手にした対策の正当性・妥当性は、時間(歴史)しか証明できません。そこに苦しさと難しさが存在しています。
3:新たなる決意と釣り
すっかりびしょ濡れになった私ではありましたが、湿気が充満する車に戻って一頻り考えましたよ…。
釣りという愉しみを通じて当地を眺めていこうと(微笑)。そうした中で、自身の危機意識を醸成していきたいと思います。
大切なのは悲劇を教訓に昇華させることです。
有事の際に、短時間で最適解を導き出すのは困難です。ましてや、自身が地元民ではない立場(観光客・買い物客・行楽客など)であれば尚更でしょう。
※私の周囲にも、当地をたまたま営業で訪れていたためにお亡くなりになった方がおりました。本当に胸が締め付けられる思いがします。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とはよく言ったものです。
防災インフラの拡充によって安堵の気運が高まっていく中ではありますが、10年という節目の時にあって、改めて気を引き締めなければならないと感じる今日この頃。
「混沌とした状況」の中で「正しい判断」を下し「速やかに行動」を起こせるように、平素から心掛けていきたいと思います。
「釣り」もまた、そうした機会になると信じて…。