デンキチの木片小魚物語3

Sprout Lures の製作記録と喜怒哀楽日記

節目の一日を終えて

 去る3月26日の話になります。

 南三陸町で行う最後の被災地支援業務となったこの日は、思いがけない出来事も重なり、それは忘れ難い節目の一日となりました。   

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1:活動の拠点 法テラス南三陸

 長い間お世話になったプレハブ…。

 よくよく眺めてみれば古くなりました。

 の総合体育館「ベイサイドアリーナ」の脇に新設された時は、沈んだ空気が支配する中にあって眩い光を放っていましたから…。

 「それにしても、冬は寒く、夏は暑かったよなぁ…。」

 そんなことを考えながら「節目となる最後の一日」全うするために、事務所の引き戸に手を掛けました。 

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 質素だけれど整頓が行き届いた玄関に入ると、開所当時からお世話になってきたO女史に「今日はデンキチ先生だけですよ。」と声を掛けられました。

 なんでも弁護士さんや税理士さんたちは、先週の間までに任を終えたとのこと。栄誉のシンガリとは言え、寂しさを覚えましたね。

 士業に関わる多くの人間が、長期に渡ってこのプレハブ事務所に足を運んでいたことを思うと、実に感慨深いものがあります。

 震災当初は、復興に係る法律・予算による縛りで3年で閉所する予定だったのですが、多くの方々の要望協力により10年という月日を経ることができました。

 一介の建築士が預かり知らぬところで、関係諸氏がを流し、を尽くして施設の継続を訴えた成果だと言えるでしょう。

 本当に敬服するばかりです。

2:山の上の役場 南三陸町本庁舎

 支援業務の合間に、仕事の資料をメールで送らねばらなくなり、Free Wi-Fiが使用できる南三陸町役場(徒歩3分)のホールへ向かいました。 

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 平成29年9月に完成したばかりの本庁舎(RC造3階建て)は、海と山の双方を想起させる落ち着いた佇まいで、リアス海岸南端に位置する南三陸町のイメージに相応しいと私は感じています。

 1階のホールには、小さな机と2脚の椅子が程よい間隔を保って備え付けられており、来庁者が自由に使えるようになっています。 

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 パーテーションには、南三陸町界隈の文化・慣習でもある「きりこ」があしらわれています。おしゃれな目隠しになっていると思います。

 一目見れば分かる通り、江戸時代の紙切り遊びに由来しているわけですが、南三陸町界隈では神棚飾りとして継承されてきました。 

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 天災や飢饉、不漁不作の時にあっても、当地の人々は「きりこ」を捧げものとして神棚に飾っていたそうです。

 この造形美を感じさせるな質素な装飾は、21世紀の今もなお、姿形を変えて空間を彩っています。そのことに感心させられました。

 これからも継承すべき紙文化だと思います。

 

 ホールの壁には、東日本大震災の折に協力を賜った全国各地の地方自治体へ向けた感謝が掲げられています。  

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 それは「結」にも似た協同であったと思います。

 しかも、地方自治といっても県単位ではありません。それこそ規模や土地柄を異にした全国各地の市町村の行政マンの皆さんが、当地の役所機能復旧させるために駆けつけて下さったと…。 

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 中には、鱒釣りを好む人間であれば聞き覚えのある村の名前も見つけられるでしょう。宮崎県の椎葉村と云えば「えのは」で知られた村ですね。

 そのような遠方からも、多大な尽力を賜ったわけです。

 ここにひたすら低頭する自分がおります。 

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 エントランスに向かい合うように南三陸町民憲章」が掲げられています。

 憲章それは理想(希望の姿)でもあります。

 「海のように~魚のように~」「山のように~繭のように~」「空のように~川のように~」それは、南三陸町を問わず、海と山を行き来する釣り人の心にも響くのではないでしょうか(微笑)。 

3:南三陸町沿岸の様子

 ここから始まる稿は、以下のマップを参考に一読していただけると、より立体的にご理解していただけるでしょう。

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 因みに、南三陸町本庁舎ベイサイド・アリーナ(法テラス南三陸)は、サンオーレそではま海水浴場から北へ1キロ程度離れた山の上にあります。

 一瞥して分かる通り、山と海が隣接した格好になっていて、これもまたリアス式海岸典型的な姿を表しています。

 後の稿で掲載した写真と共に参照して頂ければ、漁港嵩上げした町境目が理解できるかと思います。加えて、防潮堤を築いて再建を目指す市町村との差異も感じて頂ければ幸いです。

3:お昼の場所 サンオーレそではま海水浴場

 あっという間に過ぎ去るのが午前中。本当に午前中は短く感じます。昼食サンオーレそではま海水浴場でお弁当(かみさん作)を開きました。

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 支援業務の際には、この場所でお弁当を広げることが多かったですね。私の家族にとっても、震災前の良き思い出が詰まった懐かしい場所になっているので、自然と足が向いてしまうのです。

 海水浴場の脇に設けられた駐車場に車を停めて、目の前に浮かぶ荒島を愛でながら弁当を食べるのが私の定番行動になっていました。 

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 海水浴場に近接して設けられた公園には、再び遊具が備え付けられました。かつては、海上釣堀もあったんですよね…。

 今となっては、震災直後の惨憺たる状況は微塵もありません。これからは、子どもたちの元気な声が響く場所になって欲しいと願います。 

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 お弁当を平らげてから、海水浴場を散策しました。

 砂浜でハートを発見しました。

 きっと、若い女の子が描いたのでしょう。ちょうど目の前にモアイ岩が見えるので「映える」と思ったのかな(微笑)。

  

 そんな可愛らしいハートに水を差すつもりは毛頭ありませんが、私の記憶に深く刻まれている光景があります。

 それは、2011年11月4日のことです。

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 既に、大震災から半年以上経過していたにもかかわらず、サンオーレそではま海水浴場は、上・下写真のような状況でした。

 この場所の様子については、同年のGW過ぎには確認しておりましたが、を過ぎても全く変わっていませんでした。それはそうなんですよね…ここまで手が回らなかったのですから…。 

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 こうした過去を持つ場所にも、ハートが描かれるようになったという事実に深い感動と安らぎを覚えました。

 モアイ岩の方へ歩みを進めると、人の気配を察知したのか、岩の上で羽を休めていた海鳥たちが一斉に飛び立ちました。 

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 袖浜漁港の方へ視線を移すと「北の恋人岬」が見えました。

 この袖浜漁港は、こじんまりとした漁港で大好きです。

 いつもなら袖浜漁港を先に愛でるのですが、この日は志津川漁港(旧)を先に訪れてみることにしました。 

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4:老舗漁港 志津川漁港を訪ねて

 海岸線の道路を辿り、志津川漁港を横目に見ながら一旦嵩上げした道路を昇り、そして斜路を降りて志津川漁港の敷地に入ります。

 この歴史ある老舗漁港の雰囲気は最高です。その印象は、過去より現在まで変わりません。 このサイズ感といい、穏やかさといい…大好きです。

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 そんな志津川漁港も、かつては下写真のような状況でした。

 これは2012年3月頃に撮影したものです。震災からほぼ一年を迎えた時期に至っても、この様な状態でした。

 地震による地殻変動の影響で地盤が下がり、津波によって防波堤や波止のケーソンが破壊されました。

 海水面と地面の関係が尋常ではない事が分かるでしょう。 

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 それも今ではこの通り。

 波止場は整備され、漁業に必要な施設も復旧しています。(漁業従事者の努力は勿論、数多の人々の尽力があってこそ。本当に感謝です。)

 係留している漁船の上には、オレンジ色のケースが積み重ねられていました。中身はなんでしょうかね? 

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 ケースの中には、メカブ*1と思われる海藻が入っていました。 

 事務所に戻ってからO女史(震災前は某魚市場勤務)に聞いたところ、養殖漁師さんたちはワカメの値動きを鑑みてメカブを収穫しているそうです。

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 志津川漁港は、リアスが造形した凹部に位置します。

 故に、目の前こそが広がっていますが、漁港の左右(北と南)はに囲まれた格好になります。この様に、リアス式海岸が作り出す地形は凹凸が激しいこともあって、時に方向感覚を狂わせます。※初めて当地を訪れた人々の多くが訴える事象ですね。

 下写真の左端に写る建物は、三陸ホテル観洋です。

 志津川漁港から見て真南に位置しています。このホテルも、震災では甚大な損害を被りましたが、その苦難を乗り越えて営業を続けておられます。 

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 そして漁港の背後では、今も嵩上げ関連工事が続いています。その状況から、嵩上げした法面土留めをしている事が伺われます。

 防潮堤で町を守るという方法ではなく、町全体を嵩上げするという方法を採用した南三陸町では、これから暫くの間は、こうした工事が続く事でしょう。 

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 こうした方策が採れたのも、国からの復興予算は勿論のこと、全国各地(世界中)から寄せられた義援金があってこそです。

 これまでに費やした時間財源が無尽に帰さないことを祈りつつ、潮と土埃の匂いがする志津川漁港を後にしました。

5:古の風情が残る 袖浜漁港

 中小型の漁船が多く係留している袖浜漁港は、スロープを幅広くとっていることもあってか、郷愁を感じさせてくれる漁港のひとつです。 

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 志津川漁港志津川の北側に位置しており、荒島の存在やリアスの複雑な地形とあいまって隠れ漁港のような雰囲気があります。 

 この様な環境もまた袖浜漁港の良さに繋がっていると思います。

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 この袖浜漁港…今でこそ整然とした印象がありますが、震災から暫くの間は例に漏れず酷い状態が続きました。

 2012年3月に撮影した下写真からも分かる通り、役場本庁舎に続くスロープ橋の下には、夥しい量の被災塵が積み重ねられていました。

 それだけ市街地の損害が甚大だったということですね。非情にも見えるやもしれませんが、有事の際には優先順位をつけなければなりませんし…。 

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  ここまで来たのだから、北の恋人岬までは足を延ばそうかとも考えたのですが、時計の針がそれを許しませんでした。

 …が、せっかくの機会なので、津波で破壊されていた海側の遊歩道がどうなっているか(以前は工事中で入れなかった)を確認しようと考えました。 

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 工事は完全に終わったわけではなさそうでしたが、遊歩道の入り口は通行ができるようになっていました。

 二股の松が目印です。突出した岩場も印象的ですね。この辺りは、細浦・志津川層群と呼ばれるジュラ紀の地層が確認されています。

 余談になりますが、かのハインリッヒ・E・ナウマンナウマンゾウの化石の発見者)も南三陸町を訪れています。

 そして、モノティスという二枚貝の化石を採取し、日本で初めてとなる三畳紀の地層を発見しているのです。これは凄くないですか?

 そんな史実もあって、南三陸町「地質学の故郷」とも呼ばれています。以後お見知りおきを賜りたいと思います。 

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 それにしても、は広くて大きい…。「母なる大地」とはよく聞きますが、もまた「母なる海」と呼ばれて然りですよね。

 日本における「海」「産む」に通じる言葉とされていますが、こうした感性言語傾向万国共通のようです。

 やはり、国柄宗教を越えて「海は万物の故郷」なんですよね。にしても、万国共通とは良くできた言葉だと思います。

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 そんなことを考えながら、潮風にあたってきました。

 波の音と潮の香は、にもにも優しい…。久しぶりに海の香りを思いきり吸い込むことができました。

6:人はそれを「巡り合わせ」という

 所定の時間に法テラスの事務所に戻ってみると、事務所内から男性の声が聞こえてきました。挨拶をしながら声の主の方を見てみると…。

 そこには南三陸町がおられました(呆気)。

 震災直後から積極的にメディアの前に立ち、南三陸町の窮状を世間に広く伝えてこられた町長として知られている方です。(こうした行動に関しては批判も多かったと思いますが、町長の積極的な活動によって多くの義援金が寄せられたという事実もありますので、多方向から考察する必要があると思われます。)

 O女史から紹介して頂き、改めて私が挨拶をすると、姿勢よく起立しておられた町長は、それは深々と低頭され「町民を代表して感謝を伝えさせて頂きます。」と静かに述べられました。 

 その瞬間、私の目から涙がこぼれそうになりました。 


「3.11から10年」 佐藤仁・南三陸町長 2021.2.24

 町長が事務所を後にしてから、私の様子を見たO女史「最後がデンキチ先生で、このタイミングで町長が事務所に来られたのも、きっと巡り合わせなんだと思います。」と目を赤くしながら呟きました。

 こんな「お役御免の場面」を私は想像していませんでした。言葉を直接に賜ることの心的影響がこのように大きなものとは思ってもみませんでした。

 ※自分の口を出る言葉や綴った文章にあっては、今まで以上に熟慮を要すると感じました。自戒を込めて肝に命じます。


南三陸町志津川地区~復興まちづくりの記録~

 振り返れば、何度辞めたいと思ったことか…。

 誤解を恐れずに綴れば、他人様の感情をぶつけられることが多かったこともあり、ここまで継続できるとは到底思えなかったのです。

 こうした気持ちは、拙ブログ(旧ブログ)でも、当該支援業務の後に綴った記事では、愚痴めいた感情を吐露する場面が見られます。

 10年という月日の中で、陰鬱とした感情を残しつつも良い勉強をさせて頂いたと捉えるように努めてきましたが、それはあくまでも強制的に頭で納得しようとしていただけのことです。には大きな負担を掛けていました。

 故に、町長の謝意に直接触れたことで、私の心と体にある種の浄化作用が働いたのだと解釈しています。

 南三陸町に対する負の意識が静かに瓦解した瞬間となりました。此度だけは、言霊の底力を見せつけられましたね…。

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美人さんにモザイクをかける悲しさよ…

 業務時間を終え、挨拶回りから戻ってきたE女史を加えた3人で、暫し思い出話に花を咲かせました。

 彼女たちもまた、時に矢面に立ち、共に汗と涙を流し、相談者と私たち士業従事者の間に立って奮闘してこられた勇者です。

 彼女たちの良き人生航路を祈らないわけにはいきません。

7:「10年の時」が与えてくれた教え

 ここまで6000字に迫るテキストを連ねてきました。拙ブログの稀有で酔狂で賢明な読者の皆様にあってもお疲れのことと存じ上げます。

 それでは、努めて端的に記すことにしましょう。

 まずは、災害に対する心構えと危機感を醸成しておくことが挙げられます。

 そして、自身が抱えている問題の解決を先送りするな!という事です。

 何れも有体ですが、世間に多く存在する気持ちの弱い人間・気まぐれな人間(私も同様)にとっては実行に難いものでしょう。

 内容は具体的に見えて実は抽象的

 ですが、一旦額面通りに解していただければよいでしょう。前者は災害等に関わる教訓であり、後者は問題を抱えた方々に接してきたからこその教訓でもあります。

  これらの教訓は、極めて私的な表情をみせながらも、その内容は多種多様な性状・傾向を見せる難問に触れてきた上で得た大雑把にして緻密な結論です。 

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 平素であれば静かに隠蔽されている問題も、生活に変化を与えるようなトラブル(災害・交通事故等)が加わった途端、醜い格好で露呈してくるものです。

 平時こそ最悪な事態を想定できる猶予が与えられた時なのです。

 当事者に対する理解や同情よりもむしろ、多種多様な災害に対する備え自身が抱えた問題の解決へ向けて先例を活かすことが望まれます。

 それが教訓のあるべき姿ではないでしょうか。

 

 今般のコロナ渦にあって、私が暮らす宮城県(仙台)も多分に漏れず「不要不急の外出自粛」を求められておりますが、こうした時にこそ、自身を取り巻く環境や問題、そして突如として起こりうる災害に対する意識を深めるタイミングなのかもしれません。

 そして、家族皆で話し合う…。

 それが何より大切だと感じるのです。

 

 毎度の事ながら長々と綴りました。

 最後まで読んで頂き、誠に有難うございました。

 

*1:メカブ(和布蕪)は、ワカメの付着器の上にある、葉状部の中で厚く折り重なってひだ状になった部分である。生殖細胞が集まった部位で、成実葉や胞子葉に相当する。ワカメは海藻なのではないが、通俗的には「ワカメの根元部分」とも表現される。日本では食用にされる。ーウキペディアより引用ー