ウロコ貼りとウロコ吹き【対陸封櫻用横浮木片小魚Ballesta】& お礼参りと懸念
さぁ~年怒末も極まってきましたよぉ…。
何でも、花粉だけでなく黄砂も大量に飛散しているとか…。 かのモンゴルでは、強烈な砂嵐でゲルが飛ばされ、死者・不明者が多数でているとのこと。
彼の国でも「過去10年で最悪の砂嵐」と報道されていることを鑑みれば、私たち日本人が経験した事のないような凄まじい砂嵐なのでしょう。
その砂嵐とは若干性質が異なりますが、昨今は、ここ日本でも竜巻による被害が各地で確認されていますよね…。(藤田スケールF0~1クラスが発生。)
家屋に損傷(F1で屋根瓦が飛ぶ・ガラス窓が割れるなどの被害程度)を与えるくらい強力な竜巻が、突如として発現するのだから、たまったものではありません。
多様な自然災害について見識を深めておく必要を感じますね。
危機感は、時間を費やさないと醸成できない類の意識(平和ボケした日本人は特に)ですから、能動的に機会を設けるべきなのでしょう。有事に際して右往左往するくらいなら、瞬時に適切な行動を選択できるようにしておきたいものです。
有事に対するワクチンは「心構え」という事ですね(微笑)。
1:ウロコ貼りとウロコ吹き
話は3月5日に遡る。
写真がなければ、全ては忘却の彼方だ(苦笑)。
この歳になると「記憶より記憶」と教えてくれた小学校時代の恩師K先生(夫婦で先生のお宅をお邪魔した時に語ってくれた言葉)の真意が手に取るように分かる。
さてと、この Ballesta(バリエスタ)である。
去る記事でも書いた通り、下地以降のコーティングにウレタンを使用することにした。その選択による主なメリット「時間」にある。
フル・セルロースは動き出したら止めることが難しいが、その点、ウレタンは時間的な融通が利くのである。
その猶予の時を使って、工程と要領を見直した。
そして腹を括ったら、一気呵成に進めるまでだ。
などと体裁の良いことを書いているが、五里霧中から脱したわけではない。それこそ手探りさながらの状態なのである(暴露)。
何はともあれ、決断後の最初の作業は鱗貼りである。
横浮きのBallesta は、ブランクの上面・下面共に曲がりが強い。これまで作ってきた横浮きモデルの中では湾曲の度合いが2番目に厳しい。
「上手に出来た!」なんて口が裂けても言えない仕上がりとなってしまったが、直す手立てがなかったので先に駒を進めることにした。
この後、数日を掛けてウレタンでコーティングを行い、鱗との段差を無くした。
この下地調整のコーティングでは、ディッピングではなくハンドピースを使って塗布する方法を採っている。
当然の事ながら、セルロースよりもウレタンの方が膜厚を見込めるので、相応の時間短縮が期待できるわけだが、万事がメリットに富んでいるわけではない。
このルアー製作において、そんな都合が良い話に出くわしたことはない…というか、私の人生を振り返っても、コンビニエンスに過ぎる話の裏側には厄介事が手ぐすねを引いて待ち受けている事が殆どだ(微笑)。
何はともあれ、下地がを整えてから、第1の核心部とも言えるリップの固定に手を付けたのが3月12日になってから…で…下地塗装を経てウロコの塗装に入ったのが3月15日といった具合の進捗となった。
まぁ…年怒末であることを鑑みれば上出来である(自己満)。
此度のウロコ塗装もマスキングを変更してみた。
前作の隼櫻と如意桜の鱗塗装の際(過去記事)には、チュールの中で素材が異なる物を使ってみたのだが、今回はマテリアル自体を変えた。
この布がとても好ましく破顔した(微笑)。
想定していたよりも素直で、しなやかで使い易かった。溶剤に強いので、再利用が可能(実験済み)なのも貧乏性の私にピッタリだ。
塗装結果も良好(まずまず)であった。
もっと扱いに慣れてくれば更に良くなるはず。
此度は、ブランクのサイズに不釣り合いな目になってしまったが(そうでもしないと使う機会がないからね。)、今後は60㎜以下のミノーに使っていこうと考えている。
2:お礼参りと懸念
さて、ここから趣を変えて参りましょう。
3月16日の午後に、次男坊を伴って釣石神社へ向かいました。
突然夕方まで予定が空いたので、「お礼参りに行くぞ!」と鶴の一声を発するやいなや急遽出立することにしたのです(勝手な親父)。
追波川の河口を望む小高い岩山に鎮座する釣石神社は、「落ちそうで落ちない巨石」がご神体になっていることもあり、受験生に人気が高い神社として知られています。
また、階段の登り口にある葦の輪は、追波川の葦を使い4.5mの長さに編んで輪にしているそうです。(氏子さん達が製作)
こうした信仰は、蘇民将来の故事に因んでいる事が多いのですが、そこに「4.5m=ヨシ ゴウカク」というユーモアを加えているのが面白いですね(笑)。
神社の界隈では、未だに復興作業が続いています。
そんな喧騒を横目に、凛とした空気に満ちた神社の境内に到着し、合格祈願の折に購入したお札を社務所へ返納させて頂きました。
そして、件の葦の輪をくぐり、雌岩と雄岩を拝しながら急勾配の石段を登ると、広大な追波川の河口が見えました。
川通しに吹いてくる風からは、潮の香りに交じって土埃の味がしました。
お礼参りを済ませた私たちは、突如として降り出した雨に追われるように帰路につきました。
飯野川橋からサクラマス釣りに興じる釣り人たちの姿が見えました。「もう暫くしたら私も参上します。」と心で唱えながら追波川の流れを後にしました。
それはともかく…。
感染者数の増加が著しいここ宮城県(悲報)。
3月中に改善の兆しが見られれば嬉しいのですが…。既に「追波の年券」を買ってしまった身ゆえに、鬱々とした時を過ごしておりますよ。
私としては、日々の感染者数では状況を正しく把握できないので、「100万人当たりの数値」で観測するようにしておりますが、その値がですね…3月に入ってから拙い事になっているのです。
次男坊が通う予定の高校でも、複数の生徒の家族に感染者が出てしまい、春休みを前に再びリモート授業に切り替わってしまったとの事。
「感染は仕方がない」とは言え、子どもたちが学校に通えない(質の高い授業を受けれない・生徒間の交流がなくなる等の影響は小さくない)というのは由々しき事態だと捉えています。
県知事と市長も、流石に拙いと思ったのか、一昨日頃から定例会見で厳しい言葉を用いるようになりましたが、どうなんでしょう。
私には自然の理・自明の理としか思えないのですが…。
宮城県知事と言えば、オリンピックの開催に関しては以下の通りに述べています。
『見事な大会だった』と言われるためにも、国を挙げて、みんなが不平不満を言わずに協力するべきだ。宮城は不平不満を言わずに力を合わせて頑張る」
2021年2月23日定例会見より引用
それを云うなら「先にやるべき事があるだろう!」と突っ込みたくなるのは私だけではないでしょう(呆笑)。
松下政経塾出身の政治家に偏見を持ってしまいますよ…私は(毒)。
毒吐きはここまでにしましょう。
とにかく…ですよ。
この「子ども達の生活・学習の状況」は、コロナ感染拡大の当初から私自身の指標(過去記事の末尾)にしてきた事項の1つなので、この2,3週間の動静によって私の行動も自ずと決まってくるはずです(観念)。
「誰も感染したくて感染したわけではない」
この博愛的かつ偽善的な優しさを醸し出す安直な言葉によって、大人の節度と分別が歪まないことを祈るばかりです(自戒)。