祈りのカタチ
東日本大震災から10年という月日が流れようとしています。
きっと、多くの人々が「あの日の出来事」に思いを馳せていることでしょう。
今日は、「これからの10年」を歩みだす節目として、これまでの感謝とこれからの姿勢といった事柄を綴っていこうと思います。
1:光明を辿って
あの3月11日を境に、以前にも増してルアー製作に没頭するようになった私にとって、震災とルアー製作とが「分かちがたい関係性」を築いてしまったと感じています。
これが良いことなのか否かは未だに分かりませんが、それもまた人生の絢と捉えて、今日もまた手を動かすのです(微笑)。
この奇妙な関係性は、震災当日の夜から始まりました。
頻発する余震に怯える息子たちを前に、私が行っていたことはルアー作りでした。 (震災当夜の段階では、各地の正確な被害情報が一切入ってこなかった。)
いつも通りの親父でいることで、幼い息子たちが少しでも平静を保ってくれればと考え、彼らと他愛もない話を交わしながら、ロウソクの灯りを頼りにカッターナイフを振るっていたことを、昨日の事の様に思い出します。
然るに、こうして私の木片小魚物語が始まったと言えるでしょう。
この10年を振り返れば、数多の地域で様々な自然災害が起きてきました。
そうした月日の中で、平穏無事であることの稀有さを痛感させられてきたのは、私だけではないでしょう。
水道の蛇口から水が出る、ガス台の火が点く、夜になったら明かりが灯る…そんな当たり前の暮らしが、実は当たり前ではなかったと…。
こうした数多の自然災害を通して、私たちの平穏な暮らしが脆弱な土台の上に存在しているという事実を否応なしに突き付けられたと感じるのです。
こうした感慨は、いつ何時も消え去ることなく私の胸の奥に残り続け、今なお反芻し、そして咀嚼し続けています。
故にか、体と心の半分以上が過去に持っていかれていたような感覚が常にあり、時として曰く難い嫌悪と呵責を覚えることもありました。
2:祈りのカタチ
こうした心のバランスを欠いた状態を少しづつ整えていってくれたのもまたルアー作りだったと感じています。
ルアーは、主に魚を釣るための道具ですが、ルアー製作は自己を表現・反映させることができるアクティビティーへと変化します。
これは小さいようでいて、実はダイナミックな変化だと言えるでしょう。
当時の私は、 釣りや魚を夢想すること、ルアーのデザインや製作工程を模索することで、朧気ではあるものの未来をイメージすることができたのです。
そして、2021年3月11日を迎えるにあたり、この10年間で紡いできた祈りにも似た思い「平穏無事であること」を形にしたいと考えました。
こうして誕生したのが、これらの鋳造スプーンです。
一方は衆生の救済を担う菩薩であり、もう一方は国を守る四天王の中の一尊です。
現在の自分ができる手法・技法の中から、自身の思いに相応しい方法を模索した結果、かの東大寺盧舎那仏と同様に鋳造することにしました。
スケールは異なりますが、原始的な技法と古の人々の精神性をなぞる愉しみが加味されたことで製作は充実しました。
加えて、鋳造という方法を採ったことで、この「私の10年」を支えてくださった方々…特には、全く釣りに興じることができなかった「空白の5年」に生命の息吹を与えてくれた稀有で酔狂で賢明な知己の皆さんに謝意を伝えることができました。
聖観音を模した「慈光」と持国天を模した「厳光」には、平穏無事への祈りを込めました。どうかお手元に置いて、愛でてやって下さいね(微笑)。
3:これからの10年
「あれから10年後の今」になって言えるのは、「あの大震災や原発事故の刹那に感じてしまったこと、頭に浮かんでしまったことを、自分なりに咀嚼して捉え直し、そして自らを律して生きてこれた。」という実感(事実)が今の私を支えているということです。
この「全うできた」という感覚は、「これからの10年」を歩んでいく私の原動力になると私は確信しているのです。
これからの私は、心の重心を少しだけ未来の方向へ傾けようと考えています。
しかし、過去への眼差しと未来への視線の割合が大きく崩れるようなことにはならないでしょう。それは、私の生き様(思想信条)ではないと感じます。
多種多様な災害(人災/自然災害/気候・気象災害など)は、時を選ばずに勃発します。それは、今般世界を震撼させている感染症も同様でしょう。
人間という気まぐれな生き物にとって、辛い記憶や危機意識を長期間に渡って維持するのは非常に困難ですが、各人それぞれの方法で胸に刻み込む必要があると、2021年3月11日の今この時に改めて感じているのです。
強烈な揺れと強大な津波をもたらした東日本大震災は、瞬時に22000人余(行方不明者含む)の人々を死に至らしめました。
天に召された人々に思いを致しながら、本稿を終わらせて頂きます。